「どこにもない家」の名前を児童文学『モモ』からもらったことは、前回の「【どこにもない家の話 その2】ゲストハウスの名前の由来は『モモ』から」でお伝えしました。
僕たちは、大切な時間を見つめ直せるようなゲストハウスを目指していて、『モモ』の中で時間と深い関わりを持っているのが「どこにもない家」でした。
だから僕たちは「どこにもない家」をゲストハウスの名前に選んだのです。
実は、そんな「どこにもない家」の名前が決まるまでに起きた素敵なエピソードがあります。
ゲストハウスに対する思い入れをさらに加速させてくれた出来事を、ぜひ聞いてください。
目次
ことの始まりは妻からの「勝手に名前を使っていいのかな?」
ゲストハウスの名前を「どこにもない家」にしようと思いついた僕は、妻にそのことを話しました。
妻は素敵なアイデアだと思う、と言った後で少し顔を曇らせます。
「でも勝手に名前を使っていいのかな?」
言われてみればそうです。
「どこにもない家」は本の中で使われている固有名詞ですし、『モモ』をコンセプトにすること自体に対しても、ややリスクがあるような気がしました。
「どうしよう……」
まずは「現代の神」こと「Google検索」を使って調べることにしました。
世の中の大抵のことは、この神さまに聞けば教えてもらえることを僕は知っています。
ただ今回知りたいことを検索をするためのワード選定が難しかったのです……。
- ゲストハウス 名前 本
- 本の内容 店の名前に使う
- 店の名前 著作権 注意点
こんな感じで色々検索してみるのですが、全然見つかりません。
そのことを妻に話すと、「『モモ』に関連したことをやっている人がすでにいるんじゃない?」とのこと。
神さまに聞けないことは妻に聞けば良いということを知りました。
さっそく「ミヒャエルエンデ モモ イベント」で検索すると、それっぽいのがありました。
「MOMOプロジェクト」です。
イベント内容は、『モモ』という物語をヒントに日常から少し離れて「じぶんの時間」について考えるというもの。
とても素敵な企画だ……と思いながらホームページを読み進めていくと、メールアドレスが掲載されていました。
「イベントは終わってしまっているし、メールしても届かないかもしれない……」
そう思いながら、ダメもとで
- これからゲストハウスをオープンしようとしていること
- ゲストハウスの名前やコンセプトを『モモ』にちなんだものにしようとしていること
- 著作権まわりの部分が不安なこと
を記載し、メールを送ってみました。
すると数日後に返信があり、ゲストハウス開業に対する応援のメッセージと共に「岩波書店さまに聞いてみるのがよいですよ」とアドバイスをいただきました。
……なるほど!
『モモ』を発行しているのは岩波書店です。
確かに岩波書店に聞けば、詳しいことを教えてくれるかもしれません。
でも、一抹の不安がよぎりました。
聞いたところで「うちではそのような対応はしておりません」と冷たく対応されるのでは。
ましてや、向こうには1ミリもメリットが無い問い合わせです。
事務的な対応をされることを覚悟しつつ、メールで聞いてみました。
そしてしばらくすると返信が来たのです。
岩波書店さまがエンデご遺族の代理人につないでくれた
返信は想像していたものと異なりました。
丁寧な文面で書かれていたのは、以下のような内容です。
- 今までに無い問い合わせなので、エンデご遺族の代理人に意向を確認してみたい
- ついてはもう少し詳しくゲストハウスについて聞かせてほしい
エンデご遺族の代理人に意向を確認???
まさかこんな対応をしてもらえるとは思っていなかったので、驚きで言葉を失いました。
エンデご遺族の代理人……なんとなく立派なヒゲをたくわえた、賢者のような小太りおじいさんのイメージが浮かびました。
ドイツにいる賢者に自分のメッセージが届く……マジで???
混乱しながらも、
- ゲストハウスの概要
- なぜ『モモ』をテーマにするのか
- どのように『モモ』を扱っていくのか
についてまとめ、返信します。
そして、エンデご遺族の代理人からの回答を待つことになったのです。
興奮しつつメールを送ったものの、少し頭が冷えてくると「さすがにこの先は無いだろうな」と思うようになりました。
だって考えてみてください。
こんな問い合わせは、恐らく世界中から来ているはずじゃないですか。
「エンデご遺族の代理人」としての役割を勝手に推測してみると、
- エンデ作品の権利を守ること
- エンデブランドを毀損させないこと
- エンデ作品を通じて利益を確保すること
などだと思います。
ただでさえ山のように来る問い合わせの中で、1円にもならない僕たちのゲストハウス構想になぜ耳を傾ける必要があるのでしょうか?
『モモ』をうたってイメージを壊すようなことをされたら、エンデブランドにもキズがついてしまいます。
自分で問い合わせておきながら、相手に対して「なんだか申し訳ないな……」という思いしか湧きませんでした。
どう考えても、相手側にリスクしかない相談ごとです。
少し余談になるのですが、僕はここ2年フリーランスとして活動する中で、「相手の時間に対する配慮」についてよく考えるようになりました。
それは、「相手に何かお願いをすること」は、すなわち「相手の時間を奪っていること」だと認識することです。
特にフリーランスで働く場合、「時間=お金」が直結します。他に時間を割いた分だけ、仕事の手が止まり収入が減るのです。
相手への報酬やメリットが無い限り、何かをお願いすることは「マナーとして失礼」にあたると認識していました。
つまり今回の問い合わせは、自分の中では「マナー違反」に該当するケースなのです。
でも岩波書店さまは僕たちの思いを受け止めてくれて、それをわざわざドイツのエンデご遺族の代理人まで届けてくれました。
そのことだけで、本当にうれしかったのです。
だから「どこにもない家」の使用に対してNGが出ても悔いはない、そう思っていました。
エンデご遺族の代理人からのあたたかなメッセージ
僕たちがメールを送ってから24日後。
エンデご遺族の代理人からの返信が、岩波書店さまを通して届きました。
岩波書店さまがわかりやすく、ポイントにまとめてくれたのが以下の内容です。
- 「どこにもない家」という言葉自体我々(権利者)が著作権を持っているものではないので、長濱さまがこれをご使用になることに関して、著作権者として Yes, No を法的に唱える立場にはないと考えている
- その上で、我々としても「どこにもない家」が作者ミヒャエル・エンデと結びついていることが大変重要だと考える
- よって、長濱さまが言うように web site の施設概要ではぜひ名前の由来がミヒャエル・エンデ作の『モモ』からきていることを明記してほしい
- また棚村彩加さんの『モモ』をテーマにした絵(注1)が披露される場では web siteおよび実際の絵画公開の場では必ずミヒャエル・エンデの名前も言及するようにしてほしい
- ゲストハウスのみなさんが集まるスペースにぜひ『モモ』の本を置いてほしい
- 権利者からの強い要望として、ゲストハウスの入り口に「どこにもない家」の看板を付して併せてミヒャエル・エンデの名前も併せて記してほしい
(注1)ゲストハウスオープンにあたって、画家の棚村彩加さんに『モモ』をテーマにした絵の制作を依頼していた
メールを何度も読み返し、自分たちの認識に間違いがないか確認しました。そして深く感動しました。
エンデご遺族の代理人は「どこにもない家」の使用に問題がないことを教えてくれただけでなく、「ゲストハウスとエンデが結びついていることが重要」だと言ってくれたのです。
提示されたいくつかの条件は、むしろ僕たちに対する励ましや応援のメッセージのように感じましたし、代理人のエンデに対する深い愛情を感じずにはいられませんでした。
「もしかすると、このメッセージはエンデ自身から送られてきたのでは?」
そう思ってしまうほど、素敵な素敵なメッセージでした。
僕たちはすべての条件を快諾し、お礼のメッセージを岩波書店さまに送りました。
エンデご遺族の代理人さまへのお礼もあわせて送ろうかと考えましたが、あえてそれはやめておきました。
僕たちは現在ゲストハウスのWEBサイトを作っているのですが、それが完成したときにはエンデご遺族の代理人へもお伝えすることになっています。
それなら、そのサイトを通じて感謝の気持ちが伝わるようにすればよいのではないか、そう思ったのです。(WEBサイトは現在制作中)
こんな形で、僕たちのゲストハウスの名前は「どこにもない家」に決まりました。
次の話→【どこにもない家の話 その4】ゲストハウス開業で考えさせられた「お金」の問題
〈写真:かんき〉
追記:2019/9/5 クラウドファンディング「ゲストハウス『どこにもない家』に泊まりに来てほしい!」を達成しました!
1件のコメント